2010年代中盤から現在に至るまでの日本のヒップホップ・シーンは、これまで幾度と繰り返されたブームや低迷期を経て、史上最大の市場規模と盛り上がりを見せている。この10年の間に様々なバックボーンを持ったラッパーが数多く登場し、カリスマ的な人気を獲得したアーティストも少なくない。そしてJin Doggもまた、名実ともに2010年代以降の日本ヒップホップ・シーンを代表するラッパーのひとりとして台頭してきた。
代表曲のひとつである“街風”の冒頭が「こちら大阪生野区朝鮮人部落」というフレーズで始まる通り、Jin Doggは韓国人を両親に持つ在日3世として日本・大阪府で生まれる。そして、10歳で韓国に渡り、その時期にヒップホップと出会うことになる。最初に買ったヒップホップのアルバムはアトランタのラッパー:LUDACRISのメジャー1stアルバム「Back For The First Time」とのことで、聴き始めの頃はUSメインストリームのヒップホップを好んで聴いていたようだ。「最初はラッパーの服装とか格好、『THEヒップホップ』みたいな雰囲気に衝撃を受けて。そこからどんなバックボーンがあってこういう風になったのかとかを自分で調べるようになった」と彼は振り返る。
そして、10代中盤の多感な時期に、Jin Doggは韓国のアメリカン・スクールに通い始めるが、その時期に出会ったアメリカ育ちの韓国人の友人たちから、ヒップホップのベースにあるストリートの流儀やカルチャーの本質的な部分を吸収したという。
「そのときに付き合ってた友達もアメリカン・スクールの友達やけど、自分の通ってた学校じゃなくて他の地域の子たち。その子らはアメリカで生まれ育って韓国に来た人たちだから、感覚があっち。映画で観たような喋り方してるし。そいつらから、アメリカにそういう地域(ゲットー)があるというのを教えてもらった。で、そいつらが英語でフリースタイルし始めて、それがめっちゃカッコ良かった。ラッパーでもなく、趣味でリリック書いてるぐらいの不良やったけど、そこに僕も影響を受けまくった」
アメリカでラフな幼少期を過ごして韓国に渡ってきた友人たちの影響は大きく、ニューヨーク出身の友人とツルんでいた時期にNASやMOBB DEEP、THE NOTORIOUS B.I.G.といった90年代のNYヒップホップ・シーンを代表する面々の作品に触れる。そして、その後に出会ったロサンゼルス出身の友人からは同地のギャング・ファッションや音楽を注入される。
2000年代後半には日本に戻り、ラップ活動を本格化させることになるが、このLA出身の友人からの影響が大きかったこともあり、Jin Doggの初期の音楽性や身なりはUS西海岸/G・ファンクのスタイルからの影響が強かった(彼のラッパー名も西海岸を代表するレジェンド:SNOOP DOGGがフェイバリットだったことにも由来するようだ)。だが、ラップを書く上で必然的に自身のアイデンティティや人間性と向き合うことになった結果、彼は自身のアーティストとしての方向性に対して強い葛藤を感じ始める。また、同時期に起こしたストリートのトラブルもあり、彼はしばらくの間シーンから姿を消すことになる。
「最初はG・ファンクでやってたけど、
G・ファンクの曲って結構『強め』じゃないですか。あの感じが出来んくなって行き詰まった。ウソ付くことになるわけやし。『自分はホンマは何になりたかったんや?』と自問自答して」
燻っていた時期でもヒップホップへの情熱を失わなかったJin Doggは、洋邦のラッパーの音源をディグすることによって自身のラッパーとしての軸を模索する。そして、2010年代前半から急速に人気を拡大していたKOHHのスタイルにそのヒントを見出すことになる。
「その時期にKOHH君のTRAPスタイルの曲を聴いて。自分もああいう感じ(TRAPスタイルの日本語ラップ)で作りたいと思ってたけどなかなか踏み出せてなかった。KOHH君の曲を聴いたらリリックがすごい真っ直ぐというか、簡単なことを言ってるみたいやけどすごく深い、みたいなのに食らって」
2010年代前半の時点で既にUSメインストリームを席巻していたTRAPビートに載せて、誇張することなく素直に自身の感情や見解を日本語中心で綴っていくKOHHのスタイルは、以降の日本語ラップのひとつのスタンダードとなったが、Jin Doggもそのスタイルにモチベーションを喚起させられる。そして、そこにBONES、$UICIDEBOY$、XXXTENTACIONXXXといった面々に代表される、TRAPを通過して大きく発展したUSのエモ・ラップ、メタルTRAP、Soundcloudをプラットフォームとしたアンダーグラウンドなラップ・シーンなどからの影響も加わっていく。生々しく自身の感情をリリックにぶつけ、時に自分の脆さやエモーショナルな状態も曝け出し、ライヴではハードコア・バンクを彷彿とさせるアグレッシヴなパフォーマンスを見せる、現在に繋がるJin Doggのスタイルはこの頃に形作られていく。
大阪シーンにカムバックしたJin Doggは現場で出会ったYoung Yujiroらが設立したヒップホップ・コレクティヴ:Hibrid Entertainmentに加入。現在もライヴDJを務めるDJ BULLSETと共にミックステープ「1st High -抱腹絶倒-」(2016年)「2nd High -魑魅魍魎-」(2017年)をリリース。この時期にはYoung Yujiro、WILYWNKAと共に制作された“アホばっか”(2017年)や23vrszとの“am 2:00”、プロデューサー・ユニット:OVER KILLとの“Psycho”といった楽曲が大きな注目を集め、客演オファーも急増。PETZ“Blue feat. jin Dogg”など、客演でもクラシック曲を数多く生み出す。そして、2019年には初のアルバム「SAD JAKE」「MAD JAKE」を2作同時リリースし、彼の評価を決定的なものとする。
以降も精力的な活動を展開し、ミックステープ「3rd High -起死回生」(2020年)では現時点での彼の最大のヒット曲である“街風 feat. REAL-T”を生み出し、和歌山出身の気鋭ビートメイカー:Homunclu$がプロデュースを手掛けたアルバム「You Don’t know」(2021年)ではUKドリル・スタイルのビートを乗りこなし、RAWなラップを雑食なビート・セレクトの上にぶつけるJin Doggスタイルが完全に定着。大阪はもちろんのこと、日本を代表するヒップホップ・アーティストとなった。
「ビートが一番大事。外国に寄せてるわけではないけど、外国のヒップホップが好きで自分も音楽をやってるんで、目標としては海外の人たちにも知られること。聴いてて意味分からへんけどカッコ良い歌っていっぱいあるじゃないですか。そんな感じに聴こえたいというのはある。どんなビートでも自分のキャラがちゃんと出てるようにしてるというのは一番大事にしてるところかもしれない」
2023年には自身主宰のレーベル:Dirty Kansaiを設立し、待望のニュー・アルバムを制作中だという。年末年始にはワンマン・ライヴ公演を東京と大阪で計4公演開催予定で、引き続き怒涛の活動展開が予想される。この新たなフェーズで更に大きな飛躍を見せ、彼が目標とする海外での人気確立まで成し遂げることが期待される。